僕自身の話をすれば、
現在26なので、
16歳の自分から見た
今の自分がどう映るのか。
ということです。
お世辞にも期待通りだ。
なんて言える人生は
送れていません。
しかし、
全部が全部
期待外れかと言われたら
そういうわけでもなくて
期待通りもあれば、
期待外れもあり
期待を超えることも
幻滅させられることもあります。
どんな印象を受けるかどうかは
置いておいて、
まあ悪くないかと
思える人生を送れているか
確認してみたいところです
それから、
面白いことに
この“10年前の自分から見た自分”
の更新時期は毎年訪れます
毎年変わらず、
「悪くないじゃん」って
思えるように生きていけたら
人生面白いなと思います
どんな未来を生きていますか
いろんな意味で
期待を超える未来を
過ごせていたら
それは誇らしいことだと思えます
1つの尺度で
語り切れるほど
人生は容易ではないですから。
何か1つの分野で尖れていたら
それで花丸だと思うわけです。
思い描いた未来を生きる
10年前の自分が
思い描いた人生プラン通りの
人生を生きれている
これは非常に誇らしいことです
継続的な努力を続けてきた結果です。
想像以上の未来を生きる
時代が変われば、
なりたかったものの
在り方ってのも変わってくるもので
変化を続ける時代で
時代の流れに振り落とされずに
生きていれば
10年前に
想像もしなかったような
未来を生きることも可能です。
予想外の未来を生きる
脱線に脱線を重ねて
10年前の自分が
想像できない未来を生きることもあります
僕なんか特にそうです。
期待通りかっていう
採点基準から言えば
及第点レベルかもしれないですけど
審査員特別賞くらいは
もらってもいいレベルで
尖ってて面白い未来だと胸を張れるし、
これが、一つの正解だろう
と思えます。
どんな未来も正解になりうる
当時の自分が正解だと
決めつけていた進路ってのが
必ずしも正解ではないわけです
思わしくなかった
結果になったとしても
その経験から得られた価値観で
生きる未来はその道だけだし
その結果歩むむことになった
道ってのその一本限りですから。
期待を超えられ続けるのか?
10代から20代に
かけては変化点が非常に多く
必死に生きてれば
それなりに期待を
超えられる人生を送れそうです。
ですが、
その先、
変化点が少なくなる時がきます。
その時に、
予想外の特別枠での
救済措置で期待に応えるわけではなく、
10年前の自分の期待に
真っ向から答えなければいけない
瞬間も訪れます。
課題から目をそらさずに居られるか
良いものを数えることで
自分の人生に
花丸をつけられますが、
その時に
目をつむった部分も
もちろんあります。
幾つかの挫折や後悔がその部類です。
それから衰えってやつもあります。
10年前の自分が
今の自分になった時に
真っ先に
「この体錆び付いてんじゃん」
って思われそうですから。
知識や、精神力や、体力、能力、
いろんな面から、
やはり年相応に
それから自分らしく
成熟していたいものです。
そういった意味で
足りないものから
目をそらさないことも
非常に重要だと言えます。
最後に
考え始めたきっかけは
スケットダンスを読んでて
ヒメ子が10年後の体(27歳)
になって
「10年後めっちゃいい!!」
って、テンション上がってた
描写を見たことにあります。
10年前の自分は
今の自分になって
喜べるのだろうか、、、
そんなことを考えたわけです。
あなたにとって
何が一番イレギュラーなのか
何が一番誇らしい成果なのか
何が一番耐え辛い現実なのか
10年も時を隔ててみれば
それなりに冷静に今の自分を
俯瞰できます
僕が思ったのは
やはり
スポーツマンでありたい
というところでした笑
早く走れない
体力のない体は
僕らしくないですから。
今に繋がる
“アイデンティティ”とも
呼べるものが何なのか
そこを確かめる術にもできそうです。
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