【不可逆的】身の程を弁えるべきなのか

自分を生きる




それっぽい話を聞いて感化されて
すぐに行動に移すような身軽さや
面白そうな響きだけに任せて
突っ込んで行ける行動力は
身の程を弁えていなければ
よりパワフルに働きます。

身の程を弁えれば
行動力と勢いはなくなりますが
その分、現実的な行動ができるようになるのです。

身の程を知らずに行動できることの強み

身の程を知らないというのは
“自分の実力を知らない様”
を言いますが、
自分が実はもの凄く優秀なのに
自分の潜在意識に気づいていない様な人
には、あまり使いません。

だいたいは、
自分の実力を過大評価した人間を
揶揄するために使われる言葉です。

ただ、その対象になる様な人は
露骨にそう言われたとしても
払いのけられる強さがあるのです

強い自信がある

人からどんな声掛けをされても
「いやこれでいいんだ」
と突き進む力があります。

悪く言えば
周りの声が届かない状態だとも言えます。

“自分がこう思ったから、絶対こうだ”
という思考回路ですから
“頑固だ”
とも言えます。

ただ、この揺るぎない自信は
ものすごい”強さ”を兼ね備えています。

「自分のことを信じて突き進みなよ!」
と言われても
多くの人が尻込みしてしまうものですから。

ネガティブな要素を見ずして、
突き進むことなんてそう簡単にはできないからです。

 

しかし、身の程を知らない人は
それができてしまいます。

容易い訳ではありません。
それなりに葛藤もするのです。

それでも、
一歩踏み出せるのは
ある意味勇敢だからだと言えます。

失敗を恐れない

どんなネガティブな要素があっても
スタートできる強さがあります。
なんとかなるというよりも
いいイメージだけで走り出せる
能天気さが売りなのです。

悪くいえば
“無謀である”
とも言えます。

リスクも顧みず
突き進むからです。

多くの場合は
当たり前のように壁にぶつかって
人を傷つけることになったり
自分が痛い目を見たり、
少なからず
誰かしたが傷つき無傷で終われない場合が多いです。

一方で、
“できっこない”に挑戦できる人だとも言えます
選択肢を消さずに、
難易度は置いておいて、
一番ゴールに近いものを選べる勢いと
嗅覚と力強さがあるのです。

身の程を知るということ

自分のキャパを弁えるということ

その挑戦に
費やせる時間、
費やせる費用、
費やせる体力、
そういった自分の限界を知ることが
身を弁える一歩目だと言えます。

一度無謀な挑戦をして
相当辛い思いをしたにも関わらず
「やりきった!」
という自信で全てを忘れられる人は
次も挑戦できます。

一方で、
「これはやりすぎた。
次はここまでにしたほうがいいな。」
と線を引いてしまって人は
次の挑戦に対して腰が重くなってしまうのです。

自分の能力を弁えるということ

これはできそうにないな。
そう判断して
挑戦をやめること
その機会を辞退すること
そういうことがあると思います。

自分の能力を見誤ると、
後から巻き返しが効かないですし、
任せてくれた周りにも迷惑をかけたりもします。

一方で、
身の程を知らずにいられると
自分ができるできないは別として
聞こえが良くて、
できたらカッコ良さそうなことに
突っ込んでいけるのです。

身の程は弁えるべきなのか

“身の程を弁えるべきかそうでないか”
で言えば
おそらく弁えた方が良いのです。

なぜなら、
身の程を弁えた上で挑戦することはできても
身の程を弁えずに辞退することはないからです。

もちろん、身の程を弁えたことで
今までのように身軽では
いられなくなるでしょう。

とはいえ、
身の程を弁えることで
失う行動力。
現実的すぎる思考回路。
これは、失うには大きすぎるものでもあります。

「失うものはない」
という、圧倒的な行動力の元でしか
やれない挑戦は本当にたくさんあります。

一度現実的になると
元には戻れないのです。

最後に

身の程を弁えない代表だった僕も
現実的になりつつあるなと
感じている今日この頃です。

決して悪いことではないのです。
ただ、チャンスの母数が減ったな
とも感じているのです。

今までは、
キャパを超えた挑戦に
身軽に飛び込んでいましたが、
最近は、取捨選択をするようになりました。

それが悪いことなのか?
と聞かれれば、別に悪くはないのです。

しかし、
無理してでも首を突っ込んだことで
出会えた新しい仲間や知見があっただろう
その可能性は否定できないのです。

ですから、
身の程を弁えろと言われて
「やかましいわ!」
と言える気概があるうちは
盲目に生きていてもいいのではと僕は思います。

もちろん、
自分の実力を知ることが
上達成長の一歩目でもあることは否めません。
その方が良いかもしれません

それを踏まえても、
身の程をわきまえない、
無謀な生き方というのは
人生の限られた時間の中でも
さらに限定的だと言えます。

僕はそんな自由人を
全力で応援したいと思います。

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