どんなに考えてもわからないものがあります。
全部わかれば苦労しませんから当然です。
→わからないから悩むのだ。という話
多くの場合、
わからないことにぶち当たった時に
どうすればいいのか、、、
その手段に頭を悩ませます。
それは最後の最後だけでいいのです。
まず取り組むべきは
“わかっていることを整理すること”
次に、
“その事実から仮説を立てること”
そして、
“最後にわからないものを確かめに行くこと”
なのです。
わからないことへの処方箋
分かっていることを整理する
世界の誰か一人でも
分かっているのであれば
それはわかっていることだ
と判断します。
まずは
自分の手持ちの事実を整理します。
その上で、わからないことは
身内に問いかけ、
それでも該当者がいなければ
「誰かしら知りませんか?」
とネットを通して世界に問いかけるのです。
自分が知っているいることを整理する
「わからない」
と言っていることが
本当に
“これっぽっちもわからない”
のか。
それを確かめるところから
始める必要があります
なんか聞いたことあるな
どこかで見たことあるな
というように
経験に紐つくのであれば
儲けもんです。
文字通り糸口をつかんだことになります。
誰かが知っていることを整理する
世の中には専門家がいます。
会社の部署が細かく分かれていたり
書籍が山ほどジャンル分けされているのは
そのためです。
キーワードで検索してひっかかる件数だけ
それにまつわる考えが世の中には
転がっています。
聞くことができるものは
聞くに越したことがないし
調べればわかることは
調べれば良いのです。
これはこうすればわかる
という状態にあることで
気分が楽になります。
事実から仮説を立てる
掴んだ糸口となる情報と
分かった事実を並べて
仮説を立てます。
仮説というと
なんだか取っつきづらい
というのであれば、
ストーリーだと思えばいいのです。
特に出来ることなら
“スピンオフ”にしたいのです。
例えるなら、
ほとんど桃太郎だけど
桃じゃなくてメロンだよ
みたいな感じです。
馬鹿らしいですけど
びっくりするくらい細部まで
想像できませんか?
なぜなら、
本質が変わらないからです。
仮説立てをするときに大切なのは
変化点に着目することです。
なるべく中身を変えたくないので、
相違点だけ抜き取って
残った事実でストーリーを立てます。
その抜き取った部分に変化点として
新しい事実を組み込むのです。
そうすることで
主人公や脇役が違う
スピンオフ的な話になりますから
想定しやすくなります。
人に説明するときも
今回はここが違うだけです。
と言えますからかなり有利です。
わからないものを確かめに行く
この過程を踏んでおけば
“わからない”とは言っても
結局、話の中の一部に過ぎない
と余裕を持つことができます。
例えば
今回の桃太郎は
きびだんごがないです。
であれば、
きびだんごありきの
仲間集めから始まるストーリー
とは一味違うはずです。
その続きを考えるとすれば
多くの人は
“どうやって仲間を集めようか?”
という部分から
考え始めるのではないでしょうか
仲間さえ集まれば
その先のストーリーは使いまわせます。
そうすれば
自分が注力すべきことが見えてくるのです。
一番難しいことは情報集め
“大体こんな感じだろう”
という仮説が立てば
“あとはここが分かればいいだろう”
という感じになりますから
あとは終わらせにかかればいいのです。
→終わらせる意識の話
そう思うと、
わからないことに対しても抵抗感が
小さくなるのではないでしょうか?
ただ、思い返してほしいのは
仮説を立てるための事実集めが
大変なんだということです
往々にして
そういった調べればわかる事実というのは
有料だったりするのです。
それほどにノウハウというのは
価値があるのです。
逆に言えば
どんなに些細なことでも
わからないことを明らかにするということは
価値があるということです
それは誰かがお金を払ってでも
知りたい事実なのです。
最後に
何時間もかけて考えたことが
数秒の観察で解決してしまうことがあります
わからないと頭を悩ませたその課題も
たった1つの事実で
解決してしまうということです。
それほどに、
自力の頭の中だけで解決させること
というのは難しいものなのです。
“わからない”が
事実に気づいたのであれば
どこまでは”わかる”のか
そこに頭を悩ませたいのです。
もし、
何か課題にぶち当たった時は
一つ一つ愚直な情報集めから初めて欲しいです
それから、
こんな些細なことに
時間を割いていて良いのか、、
と悩む時が来たら、
“わからない事実がわかるようになる”
ということが大きな価値を持つことを
思い返して欲しいです。
コメント