社会人になってから
勉強欲が高まる人が
世の中にたくさんいるのではないでしょうか
特に院生上がりは
そんな傾向がある気がします。
まだ学生の人は
今の時間を大切にしてほしいですし
社会人の人も結局若いうちにしかできないことばかりだと思うので
今やりたいことは積極的にやってほしいと思います。
会社と研究室の違いとは
結論から言えば
ほとんど変わらないです。
強いて言うなら
“会社はお金をもらいながら勉強できる場所”で
“研究室はお金を払って勉強をする場所だ”
ということです。
・必要なものは用意されていること
・先輩や上司がいること
・成果を求められるということ
どの切り口から見ても
環境的にはそんなに違いはなく
影響があるとすれば
それは間違いなく自分の内的要因なのです。
通過点か否か
大学院は社会人になるための通過点で
履歴書につける箔の1つにすぎない
そう考える人がたくさんいるのが実態です。
社会人になって
名刺や社員証を手に入れて
企業の看板を背負えるようになったとして
それが役に立つのは
せいぜい借金をするときと
婚活の時くらいで
履歴書だけで判断してくれる
限られた機会だけなのです
そう考えれば納得する節もあります
学生のうちは、
まだまだ”人から査定される機会”が
多く残っています。
しかも、
多くが具体的な能力ではなくて
ステータスしか見ないものが多いです。
ですから、
箔をつけることが目的になるのも当然なのです。
社会人になり、
みんな同じ肩書きで並べられて
評価される立場になれば
他との差別化に一生懸命になる必要が出てきます
ですから、
自力で道を切り開くしか方法はないので
学生時代は見向きもしなかった選択を
こぞってするようになるのです
そこが戦場なのか否か
多くの人が最初の就職先でキャリアを終えます
そう考えれば
そこがラスボスの待つ
最終ステージだと言えます
最終ステージに到達すれば
最後のレベル上げが始まり
道具集めをし、
万全の状態に備えるのが当然ですので
社会人に上った人が
最後のレベル上げに向けて
焦り出すのも想像がつくのです。
責任があるか否か
“ダメだったらダメで
仕方がないと言ってもらえる環境”と
“ダメならダメなりに
結論を持ってくることが
求められる会社”とでは
タスクに向き合う気持ちに温度差があって当然です
研究室にいる限り
責任を負うことはありません。
あったとしても
生死に関わらないというか
キャリアに影響がないというか
そんな感じで、
大層なものではないのです
責任の大きさが人を育てる
と言っても過言ではなさそうです
最後に
結局、
人が自分のために勉強するかどうかは
環境ではなくてモチベーション次第だ
ということは間違いないのではないでしょうか。
それを痛感しているは
他でもなく僕を含めた
院卒の社会人なのではないでしょうか。
とはいえ、
おそらく、あなたもその一人だと思います。
大人になればきっと出来るだろう
先輩になれば出来るだろう
2年目になれば出来るだろう。
そんな風に考えたことはありませんか?
それはまさに、
その環境にさえなれば
勝手にできるようになるだろう
という考え方の賜物だと思うのです。
機会があるに越したことはないです
環境も間違いなく影響はあります
ただ、それ以上に、
あなたがその場に責任を感じられるか
そこで向き合うべきボスを見つけられるか
のような、
モチベーションに寄与する
“マインドセット”ができるのか
それが重要だと言えるのです。
環境に紛わされることなく
必要なことを考えたいところです。
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