初心者が、
見よう見まねで
最初から自己流を貫くと
理にかなっていないために
不利益を被ることも多々有ります。
ですから最初は
オーソドックスな王道の型に当てはめるのが良いです
とはいえ、
それがあなたにとっての100点なのか?
と聞かれたら答えはおそらく”No”なのです。
それを踏まえて、
80点を90点や100点にしていくために
どこかで自己流に踏み込む必要があると
考えました。
そのタイミングと方法について
持論を展開します。
新しい型を生み出すタイミングとは
基礎たる理屈が分かった時
基礎として教えてもらうものがあります
球技であれば
フットワークや
パスワークや
ドリブルなど
ダンスであれば
アイソレーションや
ターンや
基本姿勢とかでしょうか
ちなみに、
基礎練を基礎練単独で区切って
その意味を追い求めても
その真意は見えてきません。
超絶美技なターンを身につけても
それだけで稼いで生きて行くことはできないように、
それ単独には大きな価値はありません。
自分が今何を極めようとしていて
今やっている基礎練が
全体のパフォーマンスとして
どのような形で活きてくるのか
それがわかっていないと
何回繰り返しても上手にはなれません。
また、
基礎というのは
一般的に一番効率的です
効率的というのは
無駄な力が必要ない
ということです。
体のどこかに負荷をかけることもなく
アンバランスでもないということです。
基礎練は、
怪我なくそれを進めていくために
非常に重要な事柄であるとも言えます。
基礎が体得できた時
自分の中で
“なぜ基礎練をやっているのか”
“なぜそれが基礎なのか”
というのが腑に落ちた時
“自分だったらこうしたほうがやりやすい”
が見つかってきて、
それが自己流に結びついてくると思います。
怪我なく、効率的に、
それを実行する方法が理解できていれば
そこから自己流で少し外しても
結果問題ないのです。
新しい型を生み出す方法とは
制限を加える
制限とは”縛り”のことです。
それは、ここを絶対に意識する
というルールのようなものでもあり、
“ここは動かさない”
のような物理的な拘束でもあります。
この考え方は、
無駄な力が入ってしまって
精度が落ちてしまう時に特に有効です。
力みを抜いて
無駄な力を排除するための
ルールであればそれは有意義です。
教科書を忘れる
基本的に
スポーツも芸術も勉学も
自分の体や脳を動かす過程で
どのような感覚が体を突き動かしているのか
それを知ることができるのは当事者だけです
どれだけ教科書や指導者が
「こういう感覚を、、、」
と話していても
それが腑に落ちなければ
その理屈は一生あなたの血肉にはなりません
ですから、
自分だけがわかる自分の感覚を信じて
自分の中で言語化するのです。
教科書の解釈を朱書きで追加するようなイメージです。
それが自己流のエッセンスになります。
最後に
基礎に立ち返ることが重要だ
というのを痛感してきましたが、
「教科書はこうやって言ってるからこうだ」
を信じてきた結果
いつまでたっても”チグハグ“が抜けなかった
という経験をしました。
ついに、
そこから抜け出して
“自分はこうしたほうがやりやすい”
を自分で作りあげることにしました。
教科書自身も
「みんなを上手にしたい」
という強い想いを自分の言葉で伝えてくる中で
その方向性が自分の感覚と食い違えば
うまくいかなくなって当たり前です。
自分の体を動かすのは
自分以外の誰でもありません。
ですから、最後にルールを決めるべきは
自分自身なのです。
上達に陰りが見えてきた時
タイミングを見て
自己流を見つけると良いのでは
ないでしょうか。
コメント