【大切にする】2022年に考える3.11

日本で生きる




今日は3月11日
東日本大震災から11年経ちました。

誰が悪いでもない
ただ、絶望だけがそこにあった
その一日を忘れてはいけない。

この大震災が印象付けたのは
津波の恐ろしさと
原発の危うさでした。

“今でも考えること”
“今だから考えられること”

そのどちらも大事だと思います。

津波の恐ろしさ

津波の恐ろしさは
問答無用で
全てを飲み込んでしまう
悪魔の様なその性質にあると思います。

津波から逃げる方法は
いち早く情報を掴むことと
一目散に避難場所に向かって動き出せるように
準備しておくことの2つです。

僕は、
あの出来事があってから
訪れる場所ごとで
避難経路の確認を意識してやるようになりました。

明らかに海が近いこの場所で
どのようにふるまえば命が守れるのか。

それを意識するのとしないのでは
初動が変わってきます。

手が届く距離、目前で命がなくなる
当時の状況を踏まえると
一歩でも早く動き出せることの重要性は
言わずもがな理解いただけると思います。

時間とともに
記憶が薄れていたっとしても
絶対に消えない習慣として
体にしみこませる必要があります。

そのためにも
一年に一度だけでも
真剣に天災と向き合う時間が必要だと思うのです

原発とともに生きる

あの当時
福島の原発で汚染水が漏れるという
予期せぬ大事故が起きたことで
日本から原発はどんどんなくなっていくだろう
と誰もが思ったのではないでしょうか。

こんな危険な土地で
唯一の被爆国が
核燃料を抱えるなんて
おかしな話だ。

そう思ったと思います。

ですが、
今声高に叫ばれるカーボンニュートラルを達成するためには
必要不可欠な技術であるとも言われているのが実情です。

“過去のトラウマを忘れたのか”
と言う見方もできますが、
“過去の経験を活かさないのか”
と言う捉え方もできます。

 

話は変わりますが、
2021年交通事故死者数は2600人だと言います
その昔1980年代では
16000人を超える方が亡くなっていたと言います。

この事実は二つのことを教えてくれます。

一つ目は、
死亡事故が伴う危険な技術が
身の回りで日常として普及しているということ。

二つ目は、
確実にそのリスクは減り続けているということ。

技術は悪ではありません。

リスクがあることを理解して
それを限りなくゼロに近づけるのが
技術者の仕事です。

身をもって経験した
原発の危うさから
何を感じるかは人それぞれですが、
克服しなければいけないものも
あるのかもしれないと思わされます。

最後に

一年に一度でいいから
思い出すことが大事

そういうイベントが
毎年毎年増えていきます。

今もウクライナ侵攻など
世界中の緊張の糸が張り詰めていて
不安で仕方ない日も続きます。

ただ、思うのは
人が入って止められることなら
止めようよ。
と言うことです。

人間が太刀打ちできない脅威は
山ほどあります

その中で、
身内同士で削り合うのは
愚かでしかないと思います。

“過去を忘れないこと”
だけでなくて
“未来のためにできることを、今考えてすること”

それを忘れないようにしていきたい
そう改めて思いました。

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