【揶揄するようなことでもない】社畜として生きると言う選択について

自分を生きる




今回お伝えしたいのは
社畜として生きると言うことは
別に揶揄するようなものではないが
社畜という言葉の響きが悪すぎる
ということです

むしろ
自分たちが一生懸命に
それだけに打ち込めないからこそ
そこまで没頭できる彼らを
うらやましく思っているだけかもしれません

そもそも社畜という表現しかないから
働くことをいいことだ
と表現できないのかもしれないです

仕事に没頭することは悪いことなのか

社畜と言われるから
良いイメージが湧きませんが
仕事に没頭している
仕事に一生懸命だ
仕事にはまっている
と言えば別に悪いとは言い切れません

しかし、あまりにも社畜
という響きが悪すぎる上に
それ以外の言葉が日本にないので
結果的に悪い印象になっていってしまうわけです。

社畜という言葉の悪さ

そもそも
社畜という言葉が悪い
訳でもあります

会社に飼殺されている状況を
社畜というわけですから

でも、
仕事という餌を与えられて
それを貪るように食し
経験や愛着を蓄えて
会社の為になる形に
肥え太っていると考えれば
あながち間違いではないといえます。

ただあまりにも表現が悪いですよね

他にも
仕事中毒者
という言葉もあります

仕事をやってないと
死んでしまう

そんな雰囲気すら見える人です

別に完全に間違った表現であるとは言えませんが
それにしても
仕事に打ち込むこと
上手く表現したものがない

そう思うのです。

とはいえ、
会社が与えた仕事を
家畜の様に何も考えずに貪っていては
社畜と言われても否定することはできません

塩梅が大切です。

社畜の言い換えを考える

仕事ヲタクと呼ぶ

仕事が好きだを前面に推せば
仕事に夢中
人生の推し活の対象は
自分の場合”仕事”なのかなー
なんて本気で言えるのであれば
楽しいです

みんな推し活の為にお金を稼ぎます

仕事が推しの対象になれば
毎日推し事。
幸せです。

仕事人と呼ぶ

“仕事こそ人生だ”を前面に推せば

仕事に生きる人
仕事人

と表現しても差し支えないのではないか
と思います。

最後に

社畜ではなくて
仕事ヲタクとか
仕事人とか
そうやって自分を呼称できれば
仕事に没頭していることを
少しは誇れるのかな
と思います。

もちろん
考え方も大事です

考えることをやめて
与えられた仕事だけをこなす様な事をすれば
それは社畜でしかありません

楽しさを見出して
夢中になれたらよいですよね

前向きな形で仕事に向き合えたらな
と思います

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