今回お伝えしたいのは
“憤り”の感情というのは
悪いものではない
ということです。
人に対して何か注意するとき
あなたはどんな感情になっていますでしょうか
おそらく、
余りにも危険な状態だったり
マナー違反だったりと
憤りのような感情が
共存しているのではないか
と思うのです
腹の底から
ふつふつと湧いてくる
「どう考えても駄目でしょ」
という感情が止められず
人に声をかける
という行動に至るのです
つまりは、
何かに対して
“許せない”
という感情が
注意すると言う行動の
原動力になり得るということです
そう考えると
・憤りを感じる
・怒りを感じる
という感情は悪いものでしかない
というわけではないことが
わかるのではないでしょうか?
憤りをない蔑ろにする背景
情報社会になり、
昔よりも
色んな情報に振れやすくなりました
声をだして
威圧するように怒る人は
相手を委縮させて
自分のいうことを聞かせようとしている人だ
というような
話を聞いたことがあるのではないでしょうか?
こういう話を知っていると、
「怒ると言う行動は
自分の気持ちを制御できない人がすることだ」
というように、負のレッテルを張ってしまい
怒らないことが美学
の様に考えるようになってしまいます
これは全くわるいことではないのですが、
度を超すと
何に対しても無関心という状況に
陥ってしまいます。
周りで、
納得いかないことが起きていても
変に平常心を保とうとしてしまいます
なぜなら、
憤りを感じたとしても
怒りを口にすることは
避けたいからです。
憤りの感情を大切にすべき理由
現状維持を打破できる
例えば
極端な話
線路内で遊ぶ子供がいたら
大人は起こると思います。
それは
その様子を見た瞬間に
悲惨な結果が目に浮かぶからです
だから、
間髪入れずに
声を変えることができるのです
これは
自分の損得勘定抜きにして
“止めなければ”
という感情が先行しているからです
この行動に移れた人だけが
結果を変えられるのです。
強いモチベーションになるから
例えば
富裕層だけがいい暮らしをして
貧困層が今にも命を落としそうな
そんな生活を目の当たりにしたり
政治家が
いつまでも明確な手立てを売ってくれないので
家計が火の車なのだ
という状況であったりすると
憤りを口にすることはなくても
ふつふつとこのままではいけない
という気持ちが湧き上がってくるのでは
ないでしょうか?
漫画の主人公が
巨悪に立ち向かっていけるのも
理不尽に対しての憤りが
根底にあるからです。
湧き上がる気持ちがあれば
自分自身の行動を変革させる
強いモチベーションになり得ます
最後に
今僕が声を出して
「やめろよ」
と言えるのは、
・明らかに危険をはらむ行動に対して
・ゴルフのマナー違反に対して
・非合理的なチーム運営に対して
くらいでしょうか?
日常街で見る
マナー違反に対しては
物凄く嫌な気分になりますが
声を出して止めようと思うほどではない
というのが現状です。
これは
実に悲しいことだとも思うのです
注意する人が変な人に見られる
この世の中では
我慢が先行してしまいます
そうなると
様々なモチベーションになる
憤りという感情に蓋をすることになりかねず
全体としての向上が止まってしまいます。
強すぎる自制心に抗えるほどに
燃え上がる怒りの感情を抱けるように
日々の生活を送ることも
大事だと言えるかもしれません。
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