やりたくないこととか
苦手なこととか
うまくいきそうにないものとか
とにかく気が進まないものが
人には沢山あります。
そんな時は
とにかく飽きるまで、
嫌な理由
できない理由
気が進まない理由を言い続けてみましょう
そのうち飽きてきます。
逆転の発想で乗りきる
過ぎたるは及ばざるが如し
やりすぎは良くないよ
ほどほどがいいよっていうことです。
体にいいからといって
運動をしすぎるとか、
油物を控えすぎるとか
もっとうまくなりたいからと
練習しすぎるとか
そういったことは逆に
怪我や体調不良を招いたりする。
つまり、
良いと思った行いも
やりすぎは良くないよということです
逆に、
世の中には良くないと言われていることを
やりすぎるがゆえに
逆に認められてしまう。
そんなこともあったりします。
毒舌キャラとか、
辛口キャラとか、
マイペースとか、
そういったキャラで認定されて
丸ごと愛されてしまうことだってあります。
もはや親戚のような関係だと思えば良いのです
とにかく、ごね続ける。
嫌だという。
気分が乗らないという。
そのうち相手か自分のどちらかが折れます。
「じゃ、やらなくていいよ。」
なのか、
「なんか虚しくなってきたのでやります」
なのか。
どちらにせよ
どこかに収束します。
何も言えず、
グダグダしているよりはよっぽど健全です。
ダメなことなどない
不平不満は空気を悪くします
人生長く生きれば、
処世術が身につくため
なるべく周りに迷惑をかけないように
不快にさせないように
自然と細心の注意を払っているものです。
ここであえて、
正直に負の感情をぶちまけてみるのです。
そもそも、
良くないと思って蓄えていた内容は
堰を切ったように飛びだし
一時、気持ちい良いかもしれませんが
自分がそもそも良しとしない内容を
外に吐き出すことが
以外と苦痛だということに気づく瞬間がきます。
そうやって自己解決していくのです。
ポジティブな側面
一方で、
ただ単純に
ポジティブな側面があります。
それは、
自分の困りごとを列挙できるということです。
とにかく空になるまで出し尽くせば、
自分の足かせになるであろう障害は
数えるくらいしかなかったということになります。
しかも、逆説的に捉えれば
そうでなければやれるになります。
本当はやりたいことの場合、
もしくは、半ば諦めモードなとき
あえて、
ごね続けることで
解決の糸口が見えてくるのです。
最後に
僕はやりたくない理由を
臆せずに伝えに行くタイプです。
捻りもなく
「これはできないと思います」
と伝えに行きます。
しかし、
なぜか、それを説明しているうちに
悩んでたのはこれだけだったっけ、、
みたいな感覚に陥り
「やれそうな気がしてきました」
と自己解決することばかりです。
ただの検討不足じゃないかと
評価を下げているだけかもしれませんが
この過程を踏むことで、
確実に毎回前進できるのです。
やり過ぎくらいがちょうどいいのです。
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