“揃える”という行為は
人が集まらないと実現しない言葉です
人が何かを揃えることで生まれた感動を
忘れそうになってしまっている
今この時代が非常に憎いです
息を揃えて作り上げるということが
いかに貴重で素晴らしいことだったのか
それを感じられなくなった今だからこそ
その大きさを強く実感します。
揃えるということ
揃えるということは
様々な競技で採点基準になるほど
実に難しいことでもあります。
人が増えれば増えるほど
さらにその難易度は増します。
想像を超えたものが
人の力で形になるということ
その驚きが人々に感動を生みますし
それを実現する当事者は
えも知れぬ達成感と
満足感を感じることができます。
気迫を生む
人が沢山いるだけで
威圧感があるものです。
そんな大勢の人間が
同じ方向を向いて
同じことをすれば
それは迫力を生んで然るべきです。
合奏であれば
一人の指揮者を見て
各々が自分の楽器を使って
音を合わせます。
シンクロや
よさこいや
応援合戦などの群舞は
多くの人が一糸乱れぬ動きを披露します
この揃えるという行為は
実に難しいことです。
練習をして揃えれば揃えるほど
できない人、違う人が目立つようになります。
精度を上げようとすると
その要求値は上がっていき
内部では時にそれを達成するために
強く衝突したりするのです
揃えるという行為は
まさに点の感動で
本当に一瞬
1秒にも満たない世界の出来事なのです
これを披露するために
信じられないほど多くの時間が費やされて
形になるのです。
ですから、
“揃える”その場面において
メンバーはそのかけた時間の
一瞬一瞬を無駄にするものかと
全身全霊を込めて披露することになります。
そうなればその気迫は
見る人にも当然
伝わるものなのです。
場の雰囲気を生む
そこに揃った人が
同じ衣装を着て
同じ目標を持って
同じ表情で
同じものを表現すれば
そこにはそのチームだけの雰囲気が生まれます。
その雰囲気は
見る人を飲み込んで
その空間をも支配します。
これも一朝一夕で出来るはずもなく
同じイメージを持って
何度も何度も繰り返した
その時間が生み出すものなのです。
息遣いや視線など
そこにいなければ感じられないものが
幾重にも重なって一つの感動を生むのです
感動を生む
人が集まるということは
そこには生身の人間がいるということです
人が集まれば衝突をします。
気迫を生むほどの熱量をチームに
そそぎ込む必要があるし
同じ雰囲気を醸し出すために
より多くの時間をメンバーとともに
過ごすのです。
そうやって過ごした時間が
チームの物語になって
厚みになります。
チームへの愛着や
メンバーへの想い
それから、自分だけの譲れないもの
そういった人間だけが醸し出せる
その場にかけた思いというのが
見る人聞く人に伝わり
心をつかむことになるのです。
揃うと言うこと
人を揃える
野球であれば9人
サッカーであれば11人
チーム結成のために必要な人数が集めることを
人が揃うと表現するのです
人を揃えるという行為も
人が集まることを前提にして生まれた言葉で
人が集まるということがなくなれば使われなくなる言葉です
人がいて初めて使われる言葉なのだと実感します。
息を揃える
人がその場に複数人いて
目線を合わせながら
タイミングを揃えて
何かをなすことを
息を揃えるといいます。
これも当然ですが
揃える対象がいるから
成立する言葉です。
しかも、
現状オンラインではありえない行為です
揃えるという行為はナマモノです
その瞬間を過ごした人としか実現できません
別の場所で別の時間に録ったものなら
合わせるに過ぎません。
合わせることはできても
揃えることができない
そのもどかしさが
今この世界に充満しているな
と感じる次第です
最後に
人と何かを揃えるという行為が
どれほど幸せなことだったのか
それができなくなった今だからこそ
痛感します。
“息”という字は
“自分の心”と書きます
息を揃えるということは
そこにいる一人一人が
心を揃える行為だと言えるのです。
そう思うと
人と心を通わせて
1つのものを作りだすという機会が
どんどん減っていっていることに気づきます。
いろんなツールが発達して
遠くにいる友達さえも近くに感じる
そんな時代ではありますが
心を揃えるという行為ができない
という事実は変えようがないのです。
人と会えないということが
感動する機会や
心が奮える機会を
奪っているのです。
このままでは枯渇してしまいます。
人間しか生み出せない瞬間を取り戻すためにも
一刻も早く現状を打開せねば
と思う次第です。
コメント
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