“なぜか好きになれない”
“なぜか素直に喜べない”
そんな負の感情の根源は
同族嫌悪にあります。
これらの感情は人と比べるから生じるもので
比べられるということは
そもそも似ているということに
他ならないからです
同族嫌悪であることを意識すると
“苛立ち”から多くを学ぶことができます。
負の感情と同族嫌悪の関係性とは
全く納得できない人種への嫌悪
例えば、
ロシアがウクライナに攻撃を仕掛けている今の実態について
憤りを感じる人がいるいると思います。
これは、
同じ人間なのに
どうしてこんなことができるのか
自分には理解できない。
という感情から来るものです
これは、あなたの
“人間であるならばこうあるべき”
という非常に大括りの同族に対して理想の顕れです。
あなたにとって
許せないものが何なのか
ということに
人を通して気付くことができます。
言葉にならない苛立ち
この苛立ちを詳細に説明すると
苛立ちを感じてしまう存在がそばにいると
自分の存在を否定されている様な気分になるため
できれば同じ空間にいたくない。
同じ空間にいなければいけないとすれば
苛立ちを隠せずにいられない
そんな類の感情であると思います。
なぜ否定された気分になるか
と言えば、
“自分と同じような能力”
“同じようなモチベーション”でいる人が
自分よりも結果を出しているために、
自分の努力の方向性が
あたかも間違っている可能様に見えてくるからです。
この感情を抱くとしたら、
本当に上位互換であるのか
それとも土俵が違う存在であるのか
を、明確に仕分ける必要があります。
前者の場合は徹底的に学び
“自分に反映させるべき”ですし、
後者であるならば、
“割り切るないしは距離を取ると言う処置”が
必要になると思います。
ため息交じりの劣等感
この同族嫌悪は
自己嫌悪に通ずる感情であると思います
自分のありたい姿があって
目の前にそれを実現している人がいる。
それは自分には到底手の届かない世界の話であることを
自覚しているので、
徒労感がため息となって表れてしまう。
自分が人間として生まれたのならば
自分もこんな生き方がしたかった。
そんな同族に対するあこがれと
それに対する劣等感が
嫌悪感に繋がっていくのです。
憧れに対する感情であることを理解して
劣等感に繋げない思考回路が必要になります。
最後に
全ての憤りや、苛立ちは
同じ人間なんだからさぁ、、、
というところが原点であるという話です。
それに対して、
相手を非難したくなる感情が生まれるのか
それとも
自分を卑下する感情に苛まれるのか。
という違いです。
前者は
自分の正義を再確認する感情でもあるので
問題ないと思いますが
後者は
できることなら見直していきたいです。
憧れやお手本があることは
自分にとってそんな悪いことではありません。
むしろかなりプラスに働くはずです。
ただし、自分のできないことを
自分より先に実現しているという事実は
確かに認めなくてはいけない部分です。
相手の方が一歩も二歩も先を行き
何枚も上手だったということですから
認める勇気が必要になります。
その上で、自分が次どうするかを
考え直さなければいけない
という話なのです。
全ての人が関与する負の感情には
同族嫌悪的な側面があります。
“人の振り見て我が振り直せ”
という話です。
ぜひ、意識して見てください。
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