【約100年生きた男】渋沢栄一とフランクリン

【紹介する本】渋沢英一とフランクリン@齋藤孝

人生100年生きると何ができるのか。
あれもこれもやりたい人間にとって、
模範解答みたいな人たちがいました。

渋沢栄一とフランクリンです。

渋沢栄一は91歳
フランクリンは84歳まで生きました。

渋沢栄一は、日本銀行、帝国ホテル、東京海上日動、キリンビール、
王子製紙等々,数々の会社を設立した、わけのわからない男です。

フランクリンは、政治家、外交官、気象学者、科学者、発明家、
そしてアメリカ建国に携わったとんでもない男です。

人生100年あれば、1個くらいできそうな気がしてきませんか?笑

ー年表(雑)ー

フランクリン 渋沢栄一
1706年(0歳) 誕生 1840年(0歳) 誕生
1731年(25歳) 会員制図書館設立 1863年(23歳) 攘夷を企てる。
1752年(46歳) 避雷針の開発 1868年(28歳) 明治維新参画のため帰国
1757年(51歳) 独立戦争勃発 1873年(33歳) 大蔵省辞職、日銀総監査役
1776年(70歳) 独立宣言起草委員となる ・・・ 次々と偉業を成し遂げる
1790年(84歳) 死去 1931年(91歳) 死去

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渋沢栄一について

渋沢栄一が生きた時代

渋沢栄一は年表からわかるように江戸時代末期から、
昭和初期までを生きました。

生まれは商人
国を変える使命感から、武士になることを志し
攘夷志士として活動する。
縁あって、一橋家に拾われ、
これまた縁あってフランスへ渡航。
帰ってきた時には倒幕していて、明治維新。
この頃28歳、今の僕とほぼタメですね。

彼は、この若さで国おこしのために官僚になります。
それから、5年ほど働き、その時代一番の名誉ある職である官職をやめ
その当時、まだ賤しいものだと言われていた
商いの世界に身を置くことを決意します。

33歳の時です。

官職を辞める際に、数少ない友人に
「官人を止めて商人になるなんて何て賤しい。幻滅した」
と言われたそうです。

その時に言った渋沢栄一の一言があります。
「自分は論語の価値観を軸として生きる。
金銭を扱うことの何が賤しいか。金銭を卑しむようでは国が立たない。
位が高いとか、職種がどうだとかは関係がない。
人間が勤めるべき尊い仕事は至る所にあるのだ」

5年間「国のために」という志で官職として働いた渋沢栄一が、
たどり着いた答えが、「今の日本が弱いのはお金を稼ぐ力」だったようです。
そのため、キャリアを捨てて、資本主義の軸となる銀行を作り、
インフラ整備のための、セメント会社と製紙工場を作り、
その他諸々、国のために必要だと思ったことに注力して行ったのでした。

それから、もう一つ、『論語』を信じるということに
行き着いたのがこの時だったそうです。

渋沢栄一と『論語』

論語とは傷のない、完璧な精神論であると彼は信じたそうで、
自分の判断基準をすべてそこに置いたそうです。

詳しくは本を読むか、もしくはあっちゃんのYOUTUBE見てください。
非常に面白いです。

これは、この本のめちゃくちゃ大事な部分ですが、割愛します。

フランクリンについて

フランクリンは

「心が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる」

って言葉を残した人です。

フランクリンが生きた時代

彼が51歳の時に独立戦争を迎え
70歳の時に独立宣言の起草に携わった人です。
アメリカの建国に大きく貢献しています。

25歳で図書館を作り、
26歳で元祖修造カレンダーのようなものを作り
36歳でオーブンストーブを発明し、
46歳で電気の研究から高じて、避雷針を発明しました。

フランクリンは25歳の時に『十三徳』という自分ルールを作ります。
この時、キリスト教が妄信的に信じられていた時代にもかかわらず、
疑いの目を持ち、自分の信じるものは自分で信じると
自律することができた人でした。

フランクリンと『十三徳』

『十三徳』っていうのは
「腹八分目、お酒は飲んでも飲まれない」
みたいなものです。

本当にどの時代の人間にも通じる行動規律みたいなものです。
結局彼がすごいのは、25歳でこのルールを樹立して
守りきったところにあります。

心から、人生を変えるのは毎日の行動の1つ1つだと
信じていたからに他ならないと思います。

今よりも決めつけの激しい抑圧された時代で、
これだけの偉業をやり切れたのも、実は、そういう小さい良い習慣の
積み重ねだったのか。と思うと手が届きそうな気もします。

二人の共通点

公共心を持つということ

公共心とは自分の全てを注ぎ込んででも、
今この国に必要なことをやり遂げたいという心を指します。
「使命感」とも言えるかもしれません。

渋沢栄一に至っては23歳で命をかけて攘夷運動してたわけです。
文字通り「命をかける生き方」です。
ほぼ100年このメンタリティで生き抜いたってことがやはり化け物ですが、
それくらいに命燃やされば、たいていのことは何でもできる気がしてきます。

スピード感を持つということ

今必要だと思ったことを、
「思っているうちにやりきる力」が二人にはありました。
スピード感を鈍らせるのはいつだって「判断力」です。
他の人の言葉だとか、何を信じていいかわからず迷う心だとか。
そういうものが「判断力」を鈍らせます。

だからこそ、自分の中の「思考の軸」を持って生きることが
大切になってくるわけです。

思考の軸を持つということ

「思考の軸」は毎日の行動や意思決定に関与してきます。
そしてそれが、習慣になって人生を変えていくパワーになるわけです。

渋沢栄一には『論語』
フランクリンには『十三訓』
がありました。

これを、体の一部にしてしまったことがすごい。

最後に

目まぐるしい時代を生きた二人の約100年には、
時代の大きな節目がありました。

今を生きる僕たちにもきっと訪れると思います。

僕に勇気を与えてくれたのは、
渋沢栄一の28歳から33歳までの5年間。
彼自身なりふり構わず働き続けた、その5年間で
自分の人生で信じ続けられるものを見つけたわけです。
彼の輝かしい功績の真髄はその5年間に詰まっている。
僕はまさに今からその5年間を過ごせるわけです。
これはチャンスだと思います。

それから、フランクリンが『十三訓』を掲げたときの言葉です。
「自分は何が悪で何が善なのかはっきりしている。
それがわかっているのであれば、善を勧めて、悪を避けることができる」

人間誰しも、「これをやると良くない」ってことはわかっているものです。
わかっててもできないのが人間ですが、
それを克服してアメリカを作った男がいると思うと、
何だか頑張ってみる価値はありそうな気がしませんか?

僕自身、何もない人間ですが、
こうして行動することで人生変えてみたいと思います。

ゆとり世代の成果物のような僕が変わることができれば、
みんなにも何か勇気を与えられるのではないかと思います。
まずは、渋沢栄一が自分の「人生の芯」,「思考の軸」を見つけた5年間を
フランクリンのように小さな積み重ねで見つけていきたいと思います。

その軸で、今世の中に必要だと思うことを生み出して、
世に発信していくことが、僕の「100年計画」です。

がんばれーって思っていただければ頑張れます。
まずは、続けるところから始めてみます。

応援よろしくお願いします!

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