【穏便にすます】”やってあげている”を排除すべき理由

自分を生きる




“やってあげている”という意識
これは邪悪です。

何一つやってあげていることなんてない
自分がやりたいからやっているだけ

それくらいの意識が
何においても丁度良いのではないでしょうか

“やってあげている”を排除すべき理由

損した気分になるから

“ギブ&テイク”という言葉があります

“お互い様ですね”

という意味です。

しかし、
解釈を曲げてしまうと
“やったんだから
もらっていいよね”

になります。

 

かなり横柄になりますから、
“やってあげたんだから”
という解釈をなるべく抑えたいのです。

この感情が抑えられれば
見返りを求めたくなる気持ちを抑えられます。

今まで見返りを求めてしまっていたのは
やってあげたのに何も得られなかった
という損得勘定があったからです。

そもそも
自分が与えたという気分にならなければ
損することなんてなにもないのです

 

家事も仕事もそうです。

みんなで1つのことを目指して頑張っているわけです。

自分はここまでやってあげた。
とか思う必要なんてないのです。

圧迫気味な印象をあたえるから

“ギブ&テイク”という言葉があり、
この脈絡からいくと
ギブした分受け取るというように
聞き取れます。

実際この考え方の元だと、
“ギブした分搾取してよし。”

のようにも聞こえます。

裏を返せば、
やってもらうためにやってあげた
になるわけです。

何かをやらせるために
自分から名乗り出たら
それは脅迫以外のなにものでもないのです。

“やりたいからやる”と思いたい

家事や仕事、
チームの活動で、
自分ばかり頑張っていて
損した気分になる

そんな経験あるのではないでしょうか

気持ちはわからなくも無いですが、
どれも必要不可欠なことで、
自分が最初に気になったから
やったに過ぎない

そう思えると楽になります。

チームの活動も仕事も家族での時間も
すべてがそうなのです。

自分がやりたいからやった
そう思えればすべてが穏便に進みます

最後に

うちの旦那は
何もやってくれない

そうぼやく主婦を多く見ますが、
「本当に大変だからこれ手伝って」
と声をかければよいのではないでしょうか。

そもそも二人でやることを
“手伝う”っていうのが
おかしいじゃないか。

そういう人も多数いると思いますが、
そう思ったほうが楽なのですから
そう思えばよいのではないでしょうか。

 

それは、泣き寝入りというのでしょうか?

 

僕は違うと思います。

 

結局どちらかがやらなければいけないことは
どちらかがいなければ
一人でやらなければいけないことだった訳です

一人でやるところを
2人でやれている。

そう思えるだけで
ありがたいのではないでしょうか。

 

自分がやれないことを
相手がやってくれているわけです。

持ちつ持たれつで良いのではないでしょうか。

 

疲れた時は
素直にいえばいいと思います。

それをイライラにしてぶつけるから
終わりがないのです。

 

優しい気持ちでやっていきましょう。

 

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