【紹介する曲】グロリアスレボリューション@BUMP OF CHICKEN
BUMPの中でも最上級に挑戦的な曲
これぞ初期BUMPというべき
藤くんの歌声と
荒っぽいバンドサウンド
もう20年前の曲であるからこそ
今のBUMPは書かないような曲です
今も昔もBUMPはそこにあるけど
当時のBUMPはそこにしかいない
出会った当時から大好きで
今だに元気をもらえるこの曲は
やはり特別です。
「いつだってBUMPの曲はあなたのそばにある」
そう言った
いつかの藤くんのMCを思い出します。
いきなり飛び込んでくる歌詞
胸を張って誇れるモンが
自分にどんだけあるのかって?
このフレーズが
最近頭の中でずっと飛び回ってます。
名前と誕生日と
キュートな指紋ぐらいあれば十分だろう
つまり何もねえよ
って歌うわけです。
そいつを さあ 精一杯の大口で耽美に語ればいい
ステージライトなんてダイナモで充分だろう
あるモノで、でかい口叩いて
愛おしく語れと言います。
初期のBUMPは
バトルクライでも歌われますが
基本的に
大口主義
有言実行
大言壮語だろうが
自分たちが掲げた宝の地図が
他から見ればただの紙切れだろうが
そんなことは何でもいい
そいつを大口で耽美に語ればいいと
何もないからこそ、
あるものを誇れよ
そんな強い歌詞に聞こえてきます。
何もないからこそ、
ぐさっとくる
「胸を張って誇れるモンは?」
って歌詞に対しても
この心持ちで戦っていこうと思えます。
その手は何を語るのか
この曲が収録されたアルバム
THE LIVING DEADは、
Openingで始まり
Endingで終わります
ですから
実質一曲目が
グングニルで
最後の曲が
グロリアスレボリューション
になります。
グングニルも大好きなんですが
その中で大好きな歌詞が
堪え切れず掲げた拳
響き渡る鬨の声
一方で
グロリアスレボリューションでは
その手で何を掴むんだい?
殴るんだい?
何を掲げあげるんだい?
と歌います。
BUMPにとって
“手のひら”というのは
夢を掴むための
大事な象徴的なものなんだと
思います。
その後リリースされる
同じドアをくぐれたら
という楽曲では
掴むためには
両手を空にしなければいけない
それがどれだけ大切なものだろうが
そんなことを歌います。
何を掴んで
何を握りしめて
何を手放すのか
そんなことを考えさせられます。
この曲で歌う
その手は何のためにあるのか?
という問いかけには
それに対して
好戦的な歌詞が続きます
とにかくかっこいい二番
1サビ後のギターのメロディが
また堪らなくいい味を出します。
一番のサビでリスナーに問いかけたまま
疾走感そのままに二番に突入します
弱音という名の地雷原を
最短距離で走ってこい自信という名のスーツは
大層丈夫な作りだから凡人の一般論は
アイロンかけて送り返せ震えてんのかい?
そいつは武者震いだろう呼吸をしてんだ
世の中のスミでもちゃんとわかるようにそれを叫ぶんだ ネエ
いつになりゃ気づくんだい?
鍵も自前だろう
この歌詞が
水を得た魚のように勢いよく
まさにロックンロール
転がる岩のように
耳に飛び込んできます
ギターリフも
ベースもドラムも
とにかくかっこいい
このロックなメロディラインに
挑発的な好戦的なパワフルな
歌詞が乗せられます
メロディも
歌詞も清々しくてたまらない曲です。
最後に
音楽にどハマりしてから
15年経ちますが
あの頃と同じように
興奮しながら好きな曲が聴けるということが
これほどにエモいことだとは
正直思ってなかったです。
冒頭にも述べましたが
Vo.藤くんは
BUMPの音楽は
何もしてあげられないかもしれないけど
どんな時でもずっとそばにいるから
それだけは確かなことだから
と言います
これは
過去にも同様なことが言えて
時間って概念も超えて
いつだってそこにいてくれたわけだ
とも思えます
THE LIVING DEADは
2000年に出された曲で
メジャーデビュー前の曲で
野心と持論で
トガりまくっていた
当時のBUMPを表すかのような
楽曲が集まった名盤に成ってます。
当時、
音楽で勝負に出た頃の音楽
20年の歴史があるバンドだからこそ感じる
いろんなものが詰まった“あの頃”を感じる
一枚であり
そんなパワフルな一曲を
この期に聞いてみては。
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