幸せとは
心が満ち足りている時に
感じる感情のことです。
“満ち足りる”
という表現を
用いるくらいなので
心には、
“容量”があるわけです。
余裕があることを
“キャパがある”とかもいうし、
何か足りない時に
“満たされてない”というし
心は何か“器”のようなもので
例えられガチだなと思いました。
今回“器”という観点から
幸せについて
考えてみました。
幸せを感じる瞬間
■人に認められる
■努力がむくわれる
■心認め合う人といる
■感動する
そんな時に
幸せを感じるのでは
ないのでしょうか。
幸せとは
“心が満たされる感情だ”
ということで
それを受け止める“器”が
あるというのは
上でも書いた話です。
■人に認められるとき
自尊心が満たされます。
ここにいる存在意義が
与えられたような気がします。
■努力がむくわれる
培ってきた努力という土台が
空っぽのまま終わるわけでなく
ちゃんと用意した分満たされる
そんな感覚を
感じられます。
■心認め合う人といる
友人、恋人、家族、ライバル、
誰であれ、
自分の居場所を
感じさせてくれる
人といる瞬間に
満たされていると感じます
■感動する
美味しいもの、
美しいものなど
素晴らしいものに触れて
自分の感性が満たされるような
そんな感覚です。
自分の居場所だったり
努力してきた過程であったり
はたまた、
“寄せられている期待”であったり
そういうものが“器”になりえて
それが満たされることで
人は幸せを
感じるのだと思います。
生まれ持った器
よく
“〇〇の器がある”
という言葉を耳にします。
この言葉の本来の意味は、
能力や気概がある
といったところです。
それは、
いわゆる何か役割を
任せられる土台が
あるようなイメージです。
そういう場合は能力の
大きさを表すような
意味合いで強いです。
例えば
寛大だとか、
優しいとか、
そういった感情から
芸術や
スポーツなどの
突出した能力を
指す場合も
あるかもしれません。
そう思うと、
“普段感じる幸せ”は
生まれながらにして
持って生まれた“器”が
満たされることで
感じる訳ではなさそうだ
そう言えませんか?
人からもらった器
じゃ、どうやって手に入れたか。
それは、つまり、
生きていく過程で
誰かからもらった
ということになりませんか。
あなたが感じる幸せってのは
誰かがいてくれたから作られた器
があって
それは、
誰かが認めてくれて
一緒にいてくれることで
満たされます。
つまり、
幸せを感じられるということは
“二度嬉しいこと”なのです。
1つはあなたに
そのチャンスを
与えてくれるということ
今まで持っていなかった
器を手に入れられるということ
2つ目は
その器が満たされるということ
一人では幸せを
感じられないどころか
それを感じるチャンスすら
与えられないわけですから
あなたが感じる多くの幸せは
人からもらったものである
と、言えませんか?
だからこそ
より大切にしたいと
思えるわけです。
最後に
今、こんなに幸せだ。
その気持ちを
伝えたい人がいる
そう思える
空間・時間を
過ごせている
それが、
どれほどに特別で
ありがたいことか。
自分一人では
到底挑戦できないような難題に
仲間となら挑めて
一人ではやりきれない
ポストにだって、
いつ折れても
おかしくない状況にだって
立ち向かえて
やり切ることができる。
それをひっくるめて
人間は
「幸せだ」
というわけです。
幸せだと言える時
あなたが思っている以上に
あなたは恵まれていて
幸運なんだということを
今一度噛み締めたいです。
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