以前、”愚痴”について書きました。
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愚痴とは、
“愚かな”という意味合いの漢字が
2連続で使われる熟語です。
不満を垂れ流すことを意味するこの行為は、
誰も幸せにしない物のように捉えられます
だからこそ、
多くの人は愚痴を飲み込みます。
愚痴を吐いている姿はよく思われないし
自分が我慢すれば、いつか無くなるからです。
一方で、
愚痴を飲み込むということは
ストレスを溜め込むことだと言えますから
健全な心理状態になるためには
定期的に吐き出す必要もあります。
本当は、
愚痴としてこぼれ出した思いは
全て改善されるべきです。
そうでないと
また同じ人が
同じことで苦しむことになります。
ですから
愚痴は届くべき人に
正しく届くように扱われるべきなのです。
愚痴が正しく扱われるべき理由
愚痴=ストレスだから
愚痴を飲み込むという行為は
ストレスを溜め込む行為だ
と、上述しました。
ストレスは溜め込むものでなくて
発散するものですから
愚痴もそうあって良いのです。
ストレスは、
体にとって圧倒的に害です。
百害あって一利なしです。
そう考えれば
愚痴は発散させられるべきなのです。
「吐き出すな!」
というのは、どこか違います。
愚痴=毒だから
とはいえ、
吐き出す先を間違えれば
その愚痴が届く範囲
全ての人の気分を害すことがあります
やはり
人の不満は聞いていて
気持ちの良いものでは無いです。
もしも、
ことあるごとに
愚痴をこぼしているようであれば
腫れもののように扱われることになります
だからこそ
取り扱いが難しいわけです
それほどに難しいものなのに
吐き出す度合いは
各人の裁量に任されています
誰も正解を知らないからです。
モラルと気遣いで対応するには限界があります。
愚痴=薬だから
毒は少量であれば
薬である場合もあります。
愚痴も同様に薬になりえます。
愚痴というのは困りごとです。
届くべき人にちゃんと届けば
なんとかしてくれます。
例えば
政治家というのは
もともと国民の代弁者ですから
彼らに愚痴を言えば
その原因は解決されるかもしれません
近隣トラブルであれば
管理会社に言えば良いもしれません
大事なら警察が動いてくれるかもしれません
すなわち、
愚痴というのは
然るべきところに届けば
何かリアクションが起きて
解決されていくものだと言えるのです。
最後に
とはいうものの、
誰に吐き出せば正しく処置されるのか
わからずに行き場の困っている愚痴が沢山あります。
そういう愚痴が
愚痴を愚痴たらしめる根源なのです。
こういった愚痴を
正しく処置できる人や仕組みがあれば
世界はもっと生きやすくなると思うのです。
最近そんなことばかり考えています
こうすれば何か変わるのでは?
というアイデアもあります。
もし、
「確かにそうだ」
そう思ってくださる人がいるのであれば
ぜひ意思表示お願いできないでしょうか
思い切って
その間を形にするために一歩踏み出す
大きな後押しになります
生きやすい世の中にしたい
そう願ってやみません。
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