【愛について考える】できるうちに愛を届け切りたいと思う理由

自分を生きる




今回お伝えしたいことは
真心を込めて接したい
という話です。

世の中には
愛が付くものが
限られた数しかありません。

例えば
愛妻、愛犬、愛車等です

あとは、○○愛というように
没頭するものにささげる愛もあります

いつも
傍にあるようで
実は無限ではないその想いについて
考えてみることにします。

愛に気付く瞬間とは

愛は失ってから気づくことが
多いものであると言えるかもしれません。

大好きだった人や友達も
疎遠になって初めて
どれだけ心の支えになっていたか
ということに気付くことが多いです

どこに行くにも共にした愛車の存在もそうです

当たり前のように乗っていて
日に日に古く汚れていくもの

物としての天寿を考えれば
買い替え時というものは勿論あって
当たり前のように乗り換えを検討するわけですが
ふと冷静になると、
どこにいるにも一緒だった
家族そのものであることに気付きます。

あそこに行ったのも
あの人と過ごしたのも
あの瞬間も
実はここが舞台だったなー
なんてことに気付くのです。

そういう経験を経て
愛を注ぐことの重要さに気付くのです

愛の注ぎ方について考える

大事に扱うことこそが愛

できるだけ長く
沢山使えるように
大事に扱うことが非常に大事であると言えます

傷がつかないように扱うことも大事ですし
日頃メンテナンスをすることも大切です。

人に対して言えば
感謝を伝えることもそうですし、
できるだけ時間を共に過ごすこともそうです

自分の限りある時間を惜しみなく使いたい
そう思える状態であることが
惜しみなく愛を注げる土俵である
と、考えることもできます

使い倒すことこそが愛

ものであれば
その天寿を全うするまで
とにかくたくさん使ってあげることが
重要であると言えるかもしれません

人にも寿命があります

会えるうちにあう
動けるうちに動く
遊べるうちに遊ぶ

タイミングを逃さないように
常に大切に関わり続けることが
大事だと言えそうです

最後に

おんぼろの車を乗り変えたのですが
免許を取ってからの10年間
ずっとその車にお世話になっていたことに気付き
手放す瞬間かなり感慨深くなりました

もっと丁寧に使ってあげればよかった

と強く思ったのです。

この感情の出所は
間違いなく愛情にあります。

生涯のうちに
どれだけ愛を注げられる対象に出会えることでしょうか

そんなに多くない
というのが恐らく答えです。

想いを注ぐことができるその瞬間のうちに
なるべく真心こめて
惜しみなく関わっていくと言う意識を
持っていきたいものです。

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