技術者であれば
次工程の人と
図面を介して会話をします
仕様書や説明書を介して
消費者に情報を渡します
保険であれば約款があり
契約であれば規約があります
そういった書面が
自分たちが説明する代わりに
その役目を果たしてくれるのです
そう思えば
自分たちが残す成果物というのは
自分の分身のようで
愛着が持てます。
ですから、
成果物を作成する際には
そんな思いも込めながら、
丁寧に仕上げると良いと思います。
成果物を丁寧に仕上げるべき理由
唯一表現できる場所だから
自分が発行する成果物だけに
自分がしてきた努力を
唯一刻むことができます
もちろん
“使いやすさ”
“読みやすさ”
“聴き心地の良さ”
が最優先ですから
その限られた文字数や
時間制限の中でしか
表現できません。
努力の大きさと成果は
必ずしも直結しないのです。
成果物をまとめる過程で
自分の中で大事な部分を
そぎ落とす必要が出てくるかもしれません。
そうやって研ぎ澄ましたものが
成果物として手を離れていくのです
記載されすらしなかった
数え切れない努力の分まで
きちっとやりたいです。
そう思えば
もう少し丁寧に
取り組もうと思えるのでは
ないでしょうか?
世の中に感謝できる
世の中にある
形あるものすべては
誰かが苦労した
その成果物です。
しかし、
誰がどれくらいの時間をかけて作ったか
そんな情報は微塵も伝わりませんし
むしろ、
適当に読み飛ばしたり
そもそも
”読みにくい”だの
“わかりづらい”だの
文句まで口にする始末です。
自分がしているということは
他の人も同様に思っています
僕らがどれだけ苦労しても
その過程は伝わらないのです
その上で、
ケチまでつけられていたら
悲しくなります。
そう思えば
世の中のありとあらゆる物は
誰かの努力の結晶なんだなと思って
優しくなれるのではないでしょうか。
最後に
世の中の
何気ないものの裏側に
多くの人の努力が詰まっています
日の目を浴びることのない人も
本当にたくさんいるのだろうなと思います。
それは、
“自分の努力も同様だ”
と思うのです。
自分にも
“成果だ”
と自慢できるものがありますが
それは、
自分が努力してきた中の
ほんの一握りにすぎません。
おそらく皆さんも、
そうだと思います。
数ある努力があって
そのおかげで
光るものが出てくる。
自分ですら忘れてしまうような
努力だってあったはずです。
ですから、その分も
成果を光らせてやる必要があると思うのです。
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