いつからか、
「この集まりに呼ばれなくなったな」とか
「この人に合わなくなったな」とか
そういうことは誰しもあるはずです。
そんな時に少し寂しさを感じますが
これは当たり前ですが
しょうがないことです
だからこそ、
今この瞬間は
“自分と一緒にいることを認めてくれている人”
と過ごすべきだと考えます。
疎遠になることは仕方ないこと
生きていれば
それだけで多くの人に出会います。
あの時あんなに一緒にいたのに
今となっては、
めっきり合わないという人も
たくさんいると思います。
それは仕方が無いことです。
自分自身だけを見ても
毎日毎日それなりにやるべきことがあって
しがらみなく自由に生きていられるとは
お世辞にも言えないと思います。
そこに複数人の人生が絡んでくると
それはもう複雑怪奇で
「もう二度と会えないのでは」
と言うほどに都合がつかなくなります。
だからと言って、
誰とも会えないなんてことはありません。
それでも会いたいから
予定を合わせるための
“調節”を実施するわけです。
自分のために調整してくれる人の存在
人と会うためには
“時間を調整する”必要があります。
つまり
今、関係が続いている人は
自分のために時間を調整してくれている人だ
ということです。
これは非常に嬉しいことで
ありがたいことだと思います。
相手が
自分と同じ時間を過ごしていいと
認めてくれているからこそ
実現する出来事です。
その気持ちの大小や
自らアプローチしたかどうかは
そんなに重要なことではなく
相手が自分といることを
認めてくれているという事実が特別なのです
だからこそ
今あなたが一緒にいるべき人は
あなたのことを認めてくれている
そんな人たちだと言えませんか。
最後に
一方で、
今あなたが所属するコミュニティがあって
その集まりから誘われないような
出来事があったとします。
これは上のことを踏まえれば
認められてないということでもあり、
非常に大きな寂しさを
感じることになります。
ただ、一つ言えることは
自分を認めてくれてない人のために
あなたの時間を割くこと自体が
そもそも、もったいないということです
考えれば考えるほど
時間の有限さを痛感します
人に会うことも有限です
だとしたら、
あなたのことを認めてくれている
ありがたい存在のために時間を取っておくべきだと
思いませんか?
疎外感とか
寂しさにとらわれずに
本質的に一緒にいるべき人のために
時間を使おうという意識を持つことが
大切だと思いました。
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