今回お伝えしたいのは
人の価値を認める経験と
自分の価値が認められるという経験があると
自分が持つ具体的な価値に気付ける
と言うことです。
自分自身の値打ちは非常に見えづらいです
だからこそ、
“自分は何者なんだ”と
モヤモヤ悩んでしまうことがあると思います。
そんな時には勇気を出して、
自分で自分自身を値付けしてみると良いと思います。
自分自身に値付けをするということ
お金を稼ぐ
と言うことだけ考えると
たくさんの人が不便だと思っているものに対して
画期的なアイデアで圧倒的なサービスを提供するような
サクセスストーリーを思い描いてしまいますが
そうある必要はありません。
例えば、
ハンドメイドの小物や
趣味で撮った写真
何かのお手伝い等
自分の趣味を通じて生まれた成果を
だれかがいいなと思ってくれれば
それは商売だし、
具体的な誰か一人が悩んでいることを
お手伝いしてあげることも
一つの商売になります。
「そんな些細なことで
お金を取ろうとするなんてがめついね、、、」
と感じる人もいるかもしれませんが、
人類史から鑑みるに、
価値をお金で定義することは全うなことです。
逆に
自分が提供できる価値
誰かを喜ばせてあげられることに
具体的な値段が付かないということが
異常であるということを認識したほうがいいと思います。
例えば、
実家に住んでいた時を思い返してください。
常に家が暖かい状態であること
好きな時に好きなだけお風呂でお湯を出していたこと。
好きなタイミングで料理を出してくれること。
これらについて
“無償で提供されていて当たり前の内容だ”
なんて口が裂けても言えなくないですか?
大人になってなぜそう感じられるようになったかと言えば、
それはその一つ一つに
自分自身で代償を支払うようになったからです。
その価値を
自腹を切って確認したからこそ
どれだけ有難いことをしてもらっていたか
に気付けるわけです。
その逆もまた然りです。
自分が身銭を切って感じた
人からもらった無償の愛の有難さもあれば
自分が提供する価値に対して
報酬を頂けることではじめて実感する
自分自身の値打ちもあるのです。
これを会社で感じることが難しい人もたくさんいると思います。
会社は基本給が決まっていて
それで約束した分働く様なイメージがあります。
つまりは、
提供した価値に対する報酬
と言うよりは、
お金払った分働いてね
と言ったようなイメージです。
一応
相手に求められている価値を提供しているから
自分自身がやったことに対して報酬を頂けているのは
間違いのないことですが、
自分の持っているどの能力どの価値が
どれだけの値打ちで評価されているのか
と言うところまでは見えづらいというのが実態なのです。
だからこそ、
自分自身の能力や特技
持っているものを棚卸して
自分自身で値付けする必要があると思うのです。
最後に
そういった経緯で、
僕自身が最近モヤモヤとよく考えるのは
“具体的に自分の何が価値になるのか”
ということなのです。
もしあなたも
同じようなモヤモヤを抱えているのであれば
一度真剣に”自分の中の何が価値を持つのか”
それを考えてみてはいかがでしょうか。
僕自身、
それが見つからないままなので説得力はないですが
価値を認め、認められるという経験に
そのきっかけがあると思います。
良いきっかけになることを願います。
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