さて、目標を定めました。
いざ行動し始めるわけです。
その際に「プロセスを楽しむ」
という考え方をしてみてください。
プロセスにこそ、
“自分らしさ”が宿ります。
結果が全てだ
まず前提として、
結果が全てだと思っています。
できるかできないか。
“結果よりプロセスだ”
と、いうのは無責任です。
せっかく立てた
目標に到達しなくても
頑張った過程があるから大丈夫。
なんて腐ってもいうべきではないです。
正直言って、
現実逃避先がプロセスだと思っています。
ダメだった時に、
収穫ゼロではあまりにも惨めだから、
過程を振り返る。
目的に到達できなかった
自分を支えるためのモノ。
そんな風に僕は考えています。
ただし、それだとあまりに無機質です。
毎日毎日、
結果が出ないことへの焦りで
心をすり減らして、
結果を出さなければという
強迫観念とだけ共生するのは
しんどいです。
だから、
“結果への道筋であるプロセス”
これを、楽しむわけです。
振り返って浸る先ではなくて、
毎日の積み重ねであり、
道を切り開いていく
“その瞬間“を楽しむべきだと思うわけです。
目標はみんな同じ
“自分にしかできないこと”なんて大概ない
言葉通りですが、
大概のことは誰でもやればできるんです。
きっと誰だって環境さえあれば、
何ヶ国語も話せるだろうし、
医者にだってなれるし、
人気者にもなれると思います。
なれるまで諦めなければという前提ですが。
←(諦めなければ夢は叶うと本気で思っています。)
なれるかなれないかは別として、
目指す先はだいたい一緒なんです。
そうなってくると、
やれたかやれなかったか。
なれるのか、なれないのか。
必然的に、
結果はそういったマルかバツかのような
残酷なものになってしまいます。
自分だけがなれるもの
“自分だけがなれるもの”について
考えることもめちゃ大事だと思います。
“自分だけがなれるもの”
これは、絶対に誰にでもあります。
その話は以前この記事で書きました。
一読してみてください。
←(存在感を上げる話)
プロセスの大切さ
自分らしさを盛り込めるのはプロセスだけ
例えるなら、山登り。
山登りの場合山頂は一つです。
裾野は広がっていますが、
ゴールは一点だけです。
だから、誰と登るか、どこを経由するか、
どんな心持ちでそこに至るのか。
そこにこそ楽しさが
宿るのではないのでしょうか。
その人らしさが宿るということ
例えば受験。
死ぬもの狂いで、
全員が合格点を目指して努力をします。
ただし、みんな同じ勉強を
してきたわけではないはずです。
勉強が得意で、
環境もあって、
楽しみながら挑んだ人と、
そもそも苦手で、
集中力も続かない中で
頑張った人と、
数えだしたらキリがない
合格パターンがあると
言って良いのではないのでしょうか。
その合格パターン、
合格への道筋、
つまりプロセスは、
その人の生き方そのものであるといえます。
自分の苦手や、
環境、モチベーション、好きなこと、
いろんなシチュエーションの総意が
プロセスにつながるわけです。
目標を定めて一歩踏み出した瞬間から、
その道はあなただけのものなのです。
他の人がやったらどうなったのか想像してみる
いくつも成功パターンがあるように、
自分にしかできないことってのは大概なくて、
自分じゃなくて誰かが任されたとしても
きっと同じように結果が出ると思います。
頭の中で
自分の置かれている環境に、
自分のよく知った人を置いてみてください。
ライバルでも親友でもいいと思います。
あいつだったらこうするだろうな、、
って想像膨らませてください。
なんども言いますが、
結果は一緒です。
正直誰でもできると
思ったほうがいいです。
ただし、取り組み方が違う。
あいつは要領いいから、
きっとここまでは
簡単にできちゃうだろうなとか。
あいつは人に頼るのがうまいから、
こんなに苦労しないかもなとか。
想像するだけで、
ケツを叩かれたような
気持ちになれるのではないのでしょうか。
それを踏まえた上で、
あなただけの取り組みかた、
自分だけの道筋を思い描いて取り組む。
これができると
非常に人生楽しくなると思います。
あなたの切り開いた道は
あなただけのものですから。
最後に
繰り返しますが、結果が全てです。
ただし、結果は無機質です。
だから、その過程を
楽しみたいという話でした。
プロセスを楽しむのは今この瞬間。
諦めた時の保険ではないです。
自分だけの道だという認識を持って
前に進んで欲しいです。
コメント
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