【究極の問い】「地球上の全てを敵に回っても 自分だけはこの人の味方でいる」は可能か?

自分を生きる




今回お伝えしたいのは
家族と自分の在り方についてです

いうのは簡単だが
実際貫くのは難しい
あの宣言について考えてみます

あなただけの味方でいることの難しさについて

「地球上の全てを敵に回っても
自分だけはこの人の味方でいる」

そんな言葉もありますし
結婚したり
子供が生まれたりすると
そういう思考回路でいなければいけなくなると思っています

これが当たり前にできている人は素晴らしいですが
“合理的に考える”
という思考回路を持ち合わせているからこそ
パートナーに我慢を強いる選択をしてしまうことが
あると思うのです。

子供が行きたくないと駄々をこねても
実家に連れて帰るとか
学校に行かせるとか
あると思うのです

そんな時にふと考えるのが
「これくらい我慢してよ」
ということなのですが
その時に守りたいのは
自分や誰か第三者の世間体やプライドである
という可能性が高いです。

そう考えてしまったその瞬間

「地球上の全てを敵に回っても
自分だけはこの人の味方でいる」

という約束は果たされていない
事実がそこに生まれます

案外簡単に
破綻してしまうものだ
そう思うのです

とはいえ、
更に難解な問いがあります
「仕事と家族どちらが大事なの」
です

兼業で、
同じだけ稼いでいるのであれば
負担を分かち合いながら
家族のことも仕事も二人で頑張れば良いですが

片車輪であれば
片方が稼ぐことが
家族の余裕に繋がる訳なので
仕事を頑張ることも
家族の為になっている
という事実があるからです

そう考えると
恐らく家族の為に動いた
という目の前の行動よりも
もっと家族の為になる
独立した選択もあると言うことになります

これは一種の理由付けなので
自分の行動を正当化することもできてしまう
というのがまた厄介です

真の意味で
家族の味方でい続ける
家族の為になり続ける
ということ

この選択を
正しくやりきると言うことは難しそうです

最後に

自分目線で考えると
そうなるのですが
相手は自分に対してどうなの
と考えると話はややこしくなります

自分の立場を守るために
相手に自己犠牲を要請するよう
お願いする
というような状況です

自分目線で言えば
「地球上の全てを敵に回っても
自分だけはこの人の味方でいる」
が破綻していますが

相手目線で言えば
「地球上の全てを敵に回っても
自分だけはこの人の味方でいる」
が成立しているという場合の話です

大体の出来事がそうである場合が多いです

だから、真に大事なことは
ちゃんと相談すると言うことなのでしょう

君のことを思うと○○するべきでない
でも、自分はこれで悩んでいて
場合によっては君に我慢してもらう必要がある
どうしよう。

と言うべきなのでしょう。

結局二人三脚かつチームプレイで家族は進みます

我慢するのが一人である必要は全くないのです

いかにみんなでみんなを思い合えるか
それが重要なのでしょう

抱え込まずに
しっかり話し合い
家族で解決していく癖づけをしたいです。

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