【無謀でなければOK】無謀と無茶の違いとは

自分を生きる




「無謀だ」
「無茶だ」
「無鉄砲だ」

何かの行動を取る際に
そのような言葉をかけられる時があります。

全部同じような意味で使われますが
それらの言葉の本質は
「得体の知れないものは危ないよ」
ということです。

“自分の身を案じてくれて、、”
の言葉であれば、
ありがたいことですが
「あなたに取って得体が知れないかどうか」
は正直どうでもいいのです。

自分がちゃんと思いを巡らせて
勝算があって取った行動なのだとしたら
それで十分だと思うのです。

無謀と無茶の違い

無茶とは

“無茶苦茶”から派生した
言葉だそうです。
→語源辞典

“無茶苦茶”
“常識はずれな様”
だとすれば、
無茶も同様に常識はずれだ
という意味で使われます。

すなわち、
「無茶をしないでとか」
「無茶だよ」
とか、
そういう言葉の本質は
アドバイスをする側の
常識を外れたことによる不安の表れだ
と解釈することもできます

ですから、
そういった忠告に毎回答える必要はなく
むしろ
その行動が
あなたにとっての挑戦なのであれば

無視すればいいと思うのです。

無謀とは

“謀(はかりごと)”が”無い”
とかいて“無謀”です

すなわち
謀=十分な考え事
だとすれば
“思慮が足らない”
“浅はかな行動だ”
ということになります。

果たして、
世の中多くの人は
「あなたの行動は
全く考えこまれていない」
という意味で、
「無謀だ」
と言っているのでしょうか

おそらく違います。

自分の常識の範囲で考えれば
成功しそうに無い
常識はずれば行動のこと

おそらく、
それを”無謀”と言っているのです。

一方で、
言葉の意味をちゃんと捉えた
“無謀”だという指摘だとすれば
それは十分に向き合う必要があります

なぜなら、
あなたの行動が
大事な事を見落とした投機的な行動だ
と言えるからです。

“一か八か”
“なるようになる”

そう思っていれば
それは文字通り”無謀”です。

なるようになればいいです。
大きい目が出ればいいです。

そうじゃなかった場合のことを
考えていますでしょうか。

 

考えられているのであれば
それはそれでいいと思います。
一か八かに賭けた悪あがきは
無謀ではなくて無茶ですから

まだまだ勝算があるのに
確率の低い賭けに突っ込むのは
控えてほしいのです。

最後に

無謀には
人それぞれ尺度があります。

確実にネガティブ要因を
排除してからじゃなければ
行動に移せない人

もいれば、

これだという持論を構築すれば
素早くトライできる人もいます。

どちらがいいとか悪いとかは
ないと思います。

ただ一つ、
僕が言いたいのは
無謀かどうかは
自分で決めればいいのだ
ということです

その上で
いつもと同じ思考時間内に
前よりも多くの
想定問答ができるようになって
少し慎重になったとしても
それは悪いことではないし、

同じ決断に至るのにかかる時間が
どんどん短くなって
即決しているようになったとしても
それは浅はかなわけではないのです。

決断の精度の向上は
トライアンドエラーの先にしかありません。

どんどん行動して
成長の糧にしたいです。

そして、行動力に磨きをかけていきたいです
→行動力だけではダメだ。という話

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