“二度と取り返せない挑戦”と
“まだ取り返せる挑戦”の
二種類があって、
“取り返せる挑戦”は
まさに挑戦であり続け
“取り返せない挑戦”は
後悔になる。
そんな、
後悔との向き合い方の話です
二度と取り戻せない後悔とは
前述しましたが、
後悔には、
“二度と取り返せない挑戦”が
絡むものです。
もはや、
“同じような挑戦をする機会すらない”
ということです。
多くは学生時代の、
部活動のような、
そのタイミングでしか
挑戦できないものについてが
多いのではないのででしょうか。
そして”当事者であること”、
が必要があります。
間違いなくその場にいて、
自分に幾分かの裁量が
あることが
後悔のトリガーになるわけです。
後悔との向き合い方
美談化する
例えば、
就活で語る”頑張ったこと”
のようなものです。
人に伝わりやすく、
かつ、
なるべく苦労が
わかりやすいように書きます。
そして、
その苦労や挫折を乗り越えて
今があります。
こんな経験をしたので、
こんな力を発揮できますと
語るわけです。
ここまで、
自分の経験を
前向きに捉えることができれば、
二度と取り返せないような
挑戦や失敗であっても、
もはや、
“地肉となっている”
と言えるわけです。
それから、
まさに就活で
それを発言する機会があれば、
その経験は、
自他共に認める
“苦労話”に昇華されます。
生涯、
後悔の苦しみに
追われることは無くなります。
上書きできるまで向き合う
その一方で、
「美談になんてしてたまるか」
という気持ちもありますし、
そもそも、
そんなことを語る機会もない
場合もあります。
生涯をかけた一大挑戦の場合、
多くの人の人生を
巻き込んだ挑戦の場合、
その念から
解放されることはありません。
そうなると、
思い出の場所、曲、人、匂い、
景色、感情、
いろんなことをトリガーにして、
いつまでも、
あなたの心を苦しめることになります。
しかし、
美談にすることを避けて、
あえて、
そちらを選んでいるわけです。
その後悔があるから、
踏みとどまれる瞬間があったり、
もう一歩深く入り込もうと思えます。
そうやって、
自分を鼓舞できる経験として
いつまでもそこにあるわけです。
いつか、
全く関係ないところで、
新しい挑戦をすることで、
初めて、解放されるわけです。
最後に
僕は、
就活の時に、
“あの瞬間の悔しさを
意気揚々と語ること”に、
違和感を感じました。
もう”美談化”して逃げたくないな、
と思いました。
辛ければ美談化してください。
これは、正当で、
かなり有意義な方法です。
美談化することで、
確かに、その後悔は救われます。
その失敗や
挫折があったから
今があるんだと
自分の言葉で語るわけですから
十分に腹落ちしていますので。
そんなこと言っても、
いつかは、
何かをきっかけで腹落ちするものです。
人生そういうもの
なのかもしれないです。
いつかどんな苦労話も、
凄惨な過去も笑い話にできるほどに
人生は長いですから。
だからこそ、
そうやって形を変えるまでは、
あえて美談にしないことを
僕はお勧めしたいです。
その辛さを、
悔しさをそう思えるのも今の内だから。
僕自身の一番大きな後悔は、
まだまだ消える余地を見せませんが、
そのおけげで今日も踏ん張れてます。
いつか上書きできるその日まで、
まだまだ走り続ける所存です。
コメント