今から何かを始めるときや、
何か、どうしてもやり切る必要があるとき、
時間を無限に使いたくなります。
命をかけるような大挑戦じゃない限り、
無限に使うのはお勧めしません。
「これは、自分にとって大切なことだから。」
と、何があっても譲らない
”聖域”を作ってしまうと、
それを言い訳に他を蔑ろにしてしまうし、
何か他の大事なことができた時に、
十分に時間を割いてあげれなくなるから。
だから、基本的には”間借り”のイメージで、
「今は自分の大事な部分をこれに使わせてあげている」
と、思うといいと思います。
聖域とは
聖域とは、
踏み込んではいけない神聖な場所のことです。
“域”って漢字は範囲を表す漢字です。
この範囲は絶対に踏み込んではいけない。
と約束されている場所のことです。
パーソナルスペースとか、
自分の譲れない部分とか、
そういう本質的に大事な部分ではなくて、
いつ決めたかわからないような
自分ルールだったりとか、
世間的な常識だとか
そういうもので知らないうちに
作り上げた聖域の話です。
例えば、
給料の20%は貯金だとか、
毎日1時間はこれをやるとか。
仕事は1日8時間はやらなきゃいけないとか。
何曜日は必ず〇〇だとか。
時間は1日24時間と決まっているし、
お金も降ってくるわけじゃないから、
自分で蒔いた分しか回収できません。
聖域ではなく賃貸くらいに思うべき
何かに挑戦するとき、
何かを始めるとき、
そのための時間やお金を割く必要があります。
時間をやお金を割こうと思うと、
自ずと、どこかから
持ってくる必要があります。
そういうときに何も考えないと、
結局睡眠時間をとか食費とか、
人間にとって欠かせないものを
我慢することになるわけです。
そこで意識してみて欲しいのが
時間やお金そして体力も
全て出どころは1つだということです。
そして、限りがあります。
だからシェアし合わなければ
いけない訳です。
「今回これやりたいので、この時間とお金はこっちで使います。」
と宣言する必要があります。
何かに挑戦するとき
挑戦すると決めたら、
それに取り組んでいる間は
何者にも踏み込ませない。
何かの大会を目指すと決めた瞬間から、
毎週欠かさず練習を繰り返すのは
この約束のもとです。
ただ、やはり、本気だからといって
他を蔑ろにしてはいけない。
これは綺麗事かもしれませんが。
極論かもしれませんが、
仕事が忙しいからという
理由で全ての約束を破っていい
理由にはならないし
他人に思いやりを欠いて良いわけがないし、
他のクオリティを
落としていい理由にもならない。
“〇〇だから仕方ない”
を一度発動すると、
一生その言葉を使い続けることになります。
これは本当に恐ろしい。
歯止めがきかなくなります。
これを許してしまうと、
新しいことの挑戦に割く時間も、
大切な繋がりも、
全部手放すことになります。
“忙殺”とはうまくいったもので、
本当に忙しさに殺されて、
1つの人生の可能性を不意にしかなません。
何かを切り詰めるとき
そうはいってもギリギリで、
時間やお金,体力が
限界だったりします。
その際には、
どこか他に”聖域”がないか
探る必要があります。
自分の人生の中で、
実は大義名分を課して、
浪費している部分があるのではないか。
場合によっては、今だけは譲らせてくれと
言う必要があるのではないか。
誰かの協力を得る場合も、
自分の大切な部分を諦める時も、
しっかり対話をして、
双方納得する必要があると思います。
最後に、
確かに、
全てを投げ出す覚悟で挑戦をして、
勝ってきている人間を
何人も見たことがあります。
そして、そいつらに負けたこともあります。
その経験からすると、
捨て身の力はえげつないから、
決心したらそこを”聖域化”して、
それのために全てを差し出す。
それが正解のようにも思えます。
というか、それも一つの正解だと思います。
一世一代の挑戦は
そうあるべきな気もします。
ただ、繰り返しますが、
“〇〇だから仕方ない”
を言い出したら
歯止めがきかなくなります。
社会人になって初めて気づいたのは、
“仕事だから”が口癖になると、
1週間仕事だけで終わるということ。
聖域は時として、監獄にもなりかねない。
そう思って止みません。
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