最近感じた
自分の価値観の変化についての話です。
端的に言えば
“嫌いな人”の閾値が緩和されました。
余程のことがないとこいつのコト嫌いだ
とはならないようになりました。
その原因は
人それぞれの頑張りを
認められるようになったところにあります
みんなが頑張っていると思えるようになったことで
頭ごなしに否定することが減りました。
ここから先は
「お前どれだけひねくれとるんや」
という内容にもなりますが
ご容赦ください。
許容値が低かったころの話
生き方が違えば
頑張り方も違います。
例えば
YouTuberという生き方があります
遊びも含めて
多くは経費で計上できる上に
収益は大きい。
パリピの様な生き方を見ていると
日々難しいタスクと向き合う
サラリーマンが馬鹿らしくなったりします。
つい先日まで
そういう考え方で
「こんなことやってお金もらえるって何事」
ってぼやいていました。
見ていて悲しくなるから見たくない。
どうせこいつらなんて、、、、
そんなことすら思っていました。
その後気づいたのが
インフルエンサーが抱えている
悩みと、積み上げた苦労も
人それぞれあるんだなということです。
至極当たり前のことですが
それに気付けたことで
価値観が変わりました。
許容値の緩和方法
別の悩みがあると考える
立場が違う人は
みんなそれぞれ違う悩みを抱えています。
この仕事の方が難易度が高いから
自分の方が大変なのだ
というのは安直な考え方です。
パート従業員が
立ち仕事で毎日大量の人を
さばいていくのと
サラリーマンが
大量の案件をさばいていくこと
どちらが大変なのか?
と聞かれたら両方とも平等に大変でしょう
と答えるのが妥当だと思います。
同じように、
遊んでいるように見える
インフルエンサーも
それぞれ苦労があると思えれば
優しく向き合うことができます。
積み上げてきたものが違う
サラリーマンが
生涯かけ上げていく
キャリアという階段があります。
これは、
自分の成果や
人からの客観的評価の積み重ねで
その様に評価されていきます。
例えば
インフルエンサーは
フォロワーや
チャンネル登録者数
それからコンテンツの再生回数
がその人の価値になります。
日本人のサラリーマンが
半年功序列で
手厚い指導を受けながらキャリアアップしていく中で
インフルエンサーは
どこまで行っても個人勝負。
全ての試行錯誤が自力の世界
そう考えれば
一見楽そうに見える人も
頑張っているんだな
と思うことができます。
人が見えないところで努力していることを
見えないから”楽して頑張っている”
というのは違います。
ちゃんとそれなりに頑張っていることを
認めるようにしたいです。
最後に
何が言いたいかと言うと、
みんなそれぞれ頑張っているな
ということ。
それから
みんな頑張っているのだから
憶測で判断するのはやめよう
ということです。
どこまで行っても
好きになれないコンテンツもあるし
生き方もありますが、
その人自身が悪い訳ではないです。
一方で
好きじゃない声やトーン
雰囲気や企画内容
様々ありますから
全てを好きになれと言うのは
それはそれで無理です。
気に入らないなら
無理やり好きになる必要はないです。
ただし
その延長線上で
その人たちの努力を無下にすることは控えたほうがいいと思いました。
僕らが知っていることなんて
せいぜい一握りです。
そんな人間が
何を根拠に文句を言うのだろうという話です。
僕はそういった価値観の変化から
人を否定するのはやめよう
と、思うようになりました。
認めるところは認める
そんな生き方ができると
有意義だなと思いました。
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